数年前に計画して少しずつ実践していました、脱・いい人ぷろじぇくと。
このぷろじぇくと、意外と難解なハードルがありまして、数年前から実施しているのですが、
どうも、方向性がちがうなーとか、これってあんまり快適じゃないよなーとか、思っていました。
自分の中で喜びにならないというか。
それは、私がある勘違いをしていたからなんですねー。。。。
そもそも、脱・いい人をしようと思ったのは、わけがありまして。
「いい人ですよね。」
といわれてもうれしくな自分に気づくきっかけがありまして。
それはなぜかなと考えてみたら、小さいころからずっと「いい子」をやっていたので、
そろそろおなかいっぱいになってきたなーというのが本音でして。
もう、いいやー、いい人やんなくっても。って(笑)
たとえば、いい妻。私は世間でいわれているところの「いい妻」ではないと思います。
家事が上手なわけでもないし、家のマネジメントが得意なわけでもないし、夫を立てるのがウマいわけでもないし・・・あせあせ
でも、「おもしろいツマ」ならできるよ。
「楽しいツマ」ならできる、ウン、「いい妻」をやめよう~と思ったら楽になった。
別にオットも私がいいツマでなくてもよさそうだし。
というわけで、双方が一致したので、やめました。
それが、脱・いい人ぷろじぇくとの第一弾。
次は、世間でいうところの「いい人」をやめる作業に入ったわけですが、
ここでつまづいた。。。
いい人の反対=悪い人
ということで、短絡的に考えていた私は、「悪い人」を一生懸命やろうとしてみた時期というのがあるんですよね~。。。
これ、大きな勘違いだったんですが。
でも、人間ってさ、結果的に悪いことをしてしまうことがあっても、わざわざ意図的に悪いことってできないもんですよね。
これは、いろいろ試した結果、大変難しかった。
そこで、脱・いい人プロジェクト推進委員会のつぐちゃんに聞いてみたところ、目からウロコが落ちました。
つぐちゃんの理論では、
いい人=どうでもいい人
その反対は、
相手にとって大切な人。
そっかー!!!相手にとっての大切な人というのを努力していけばいいんだな。
それなら、できそう。
私の脱・いい人ぷろじぇくとは、脱・(どーでも)いい人ぷろじぇくとに変更となりました(笑)
定義を明確にしたら、理解できたぞー。
そしたら、プロジェクト第三弾。
「いい母親」をやめる。
これが最も難しい。
幻の母親像、世間一般にいわれる、いいイメージの母親像。
この幻を消して、自分らしい母親になる選択をするのはちょっとした勇気がいる。
家のことをきちんとやって、おいしくて栄養満点のご飯をつくって、おやつも手作りで、きれいで、清楚な感じのお母さん。
いつも家にいて、子どもの洋服を作ったり、エプロンをして庭の掃除をするお母さん。
すてき。でも、私はそんなに完璧ではない。
母親である前に私は私自身であって、そこを忘れて自分が勝手に作った「いい母親」というイメージに苦しんでいる人のなんと多いことか。
あ、でも私、料理は好きよ。おやつを作るのも気が向けばするし。
洋服は作らないけど。やりたければやるというのがいいなと。
どちらかというと、子どもと一緒に歌ったり踊ったりしている毎日で。
散歩も行きたければ行くし。行きたくなければ行かないし。
これが行くべきだと思うと苦しくなるんだなー。
でも、ときどきやっちゃうんだよ。
この脱・いい母親ぷろじぇくと、一番難関です(笑)
目的は。私が快なことが、子どもにとっても快だということを常に忘れないでいようということからなんです。
ついつい忘れてしまうから。
「あなたのために」ってやってしまいがちだから。
「あなたのために、お母さんはこんなにがまんして」っていうのを、絶対言いたくないんですよ。
自分が子どもだったら、かなり聞きたくないんです、この台詞。
「頼んでませんけど。」って言いたくなるんです。
「ご自分の人生を生きてください。」と。
母親が幸せに生きていることが、子どもにとって一番幸せなんだということは、子どもをやったことがある人ならだいたいわかるのではないでしょうか?
でも、これ、
実践するの難しいよー
プロジェクトは着々と進行中なのです(笑)
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